序章
元和偃武。
戦乱絶えぬ日ノ本の世は、数多の悲嘆と怨嗟を幾重にも人々へ刻み込んだ。
そして、大阪城が炎に包まれし大戦を幕引きに、歴史にまた一つ…。侍達は戦の終局を見出した。
その新たな時代の始まりを元和偃武と讃え、ここに泰平の世を宣言したのだった。
――しかし、その泰平の世の礎に陰りが生ずる。
月は憂うかの如く、悠久の時を共にしたであろう社殿を照らし、
けたたましく巻き上がる炎は夜空を赤く染め、やがて月を覆い隠す程の黒煙が星躔を汚した。
向かい合う祓殿にも劣らぬ堂々たる宝殿は炎に包まれ、左右に大きく口を開いた御扉の奥に本尊は無く。
何とも哀れな空の宝殿は、崩れる瓦屋根に轟音と共に押し潰された。
正面にある祓殿も、いつ何時火の粉が移り、燃立つのか。
しかし、宝殿と祓殿の間に向かい立つ二人は、立ち昇る炎も火の粉も、崩れ落ちた社殿すら眼中にはない。
灼熱の炎が全てを呑み込もうと、機を窺うかのように踊り見下ろす中で、互いの姿をただ一心に正視している。
祓殿を背にする者は、美しい黒髪を靡かせた青年であり。
舞い散る火の粉を物ともせず凛と立ち、その端麗な容姿は月光を遮る深紅の炎で赤く染められている。
今紫色の羽織をはためかせ、まるで全身を血に染め上げた様に、
赤く赤く浮かび上がる青年の面差しは、憐れみと怒りを宿し、その瞳は只管に眼前の者へと向けられていた。
「無貌の鬼とは…正しく…」
そう呟いた青年の瞳の先には、古来より神に舞いを捧げる高舞台があり。
その壇上には踊り狂う炎と、無貌鬼と呼ばれた異形の鬼が青年を見下ろしている。
炎を背にし、鬼は昏々たる陰影を帯びている為、青年は鬼の醜い全貌を全て捉えた訳ではない。
膝にかかる程の、血色の長髪を炎の熱で踊らせ、頭部にある六本の黒角に禍々しい気配を宿すその鬼は、炎に身を焼かれる事も厭わず。
片膝を崩して胡座を搔き、刀を携えた青年を値踏みするよう薄笑いを浮かべては、その容姿を眺めている。
やがて青年は音も無く刀を抜き、額の上までその切っ先を上げた。
「貴様だけは此処で、斬らねばならんようだ」
憐れみを断ち切った決意を宿す青年の言葉に、鬼は唇が失せ牙が剥き出した口元を歪めた。
そして風に煽られた炎は、戦いを待ち侘びていたかの様に喜び舞うと、遂に鬼の醜貌を不気味に映す。
「――イイ……ツラダナァ…!」
青年の容姿を指差し、呵々大笑する鬼はゆらりと立ち上がると、
自身が持つ茶蝋色塗りの京鹿子の花が装飾された鞘を、後方へ投げ捨て刀を抜く。
鬼の掠れきった笑い声が、轟き止んだその刹那。
青年は地を蹴り、無貌の鬼へと刀を振り下ろした。
序章 完
一章へ
作者:嵬動新九 本文記載:2024/12/09
無貌鬼の序章が終え、ここから物語が始まります。かなりの長編になりますので、気長にお付き合いいただけたら嬉しいです。
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